Friday, 28 February 2014

生きていてはいけない人なんて誰もいない

言っていることとやっていることが食い違っていると思うんだけれど、私は自分を指して「はやくしねばいいのになあ」と思い、自分を呪いながら日々を過ごしている一方で、「生きててはいけない人/死んだほうがいい人」なんてひとりもいない、と思いたい。そう思おうとしている。
昔は違った。害のある人間はとっとと死ぬべきだと思ってた。(誰が「害」かどうかを決めるというのか)ひとはだれでも自分ひとりの力で生きて行ける”べき”だと思っていた。
もう、ずっと、ずっと。昔の自分が今の私をみたら、きっと激昂し机を叩き足を踏み鳴らし、声高に「こいつは死ななければならない!」と言うだろう、と思っている。
そう思うから、12才の私に罵られるから、だから私は「はやくしなないかなあ」と思うのだろうか。おまえは正しい、正しいからしぬんだ、と。
そう思うから、12才の私を殺すために、「生きててはいけない人なんて誰もいない」なんていう”きれいごと”を思うんだろうか。おまえは間違っているんだ、正しいのは私だ、私はしなないんだ、と。

人間に無意味に厳しく(そして自分が正しいと盲信していた)私が決して許さない私を許してくれる価値観を求めて「死んだほうがいい人なんていない」なんて言うのだとしたら、それはおそらく逆効果で、まさしく死ぬべきクズということの証明にしかならなくて、別に自分を助けたいと思ってそんな寛容そうなことを言っているわけではないのだけれど、それを証明するためには自分が助からなくてもそう言うであろうこと、自分が助からないこと、もう死んでいることが必要なのではないかとか、そんなことをぐるぐると際限なく考えている。

結局、生きていたいと思う人は生きているべきで、生きていたくないと思った人をどうするかという話なのかもしれない。
すべての人が生きていたいと決めつけるのも、ある生きている人間を「死んでいるべき」と決めつけるのも、どちらも無理のあるはなし。