Saturday, 14 May 2011

性別について思うこと

読んで字のごとく、性別について思うこと。ここしばらく色々思ったことを書いてます。
個人的な話と、一般的(?)な話があるので、まず一般的な話から。

生物としての性別、(@alimusxさんの表現を借りるなら)
http://twitter.com/alimusx/status/69263888444690432
「ヒトのオスとメス」としての性別は、本当にとても不自由で不愉快なものだと思う。それを煩雑さのないシステムに作り変えようと思ってもSFな世界になってくれないと無理。
社会的な性別、いわゆるジェンダー、自分で決めることが多少は許されたほうは、これからいくらでも社会の体制次第で自由で快適なものにできると思う。

肉体と自己認識と周囲の認識が一致してる限り、それぞれの性別についてくるメリットやデメリットはセットだと思うし、もしかしたらバランスがとれているのかもしれないけれど、私の目には全くそう見えなくて、理不尽なシステムだと思ってしまう。
それぞれのいいトコどりをしたいだけの幼稚な感覚なのかもしれない。たぶん、そうだ。でも、私は納得できない。
よくある「俺の考えた最強の××」じゃあるまいし、わりとどうしようもないことだし、そういう感じのあたまおかしいSFでも書いてろカスが、という話だと思うけど、私は性別システムがこうだといいなーというぼんやりした夢がある。実現すべき目標じゃなくて、理想郷のイメージとしての夢。

まず選択可能であって欲しい。
12,13くらいまでは性別のない存在、まだ選択の時が来ていない子供でありたいし、それを過ぎたら自由意志で男性形と女性形のどちらかを選び、違和感があったら一度くらいは取り替えられるようにあってほしい。
生きていく上での負担がイーブンになってほしい、ファッション感覚で気軽に選べるように。(そうでないと、「~だなんて女性形マジ負け組み」となって偏る。別に偏ってもいいのかもしれないけど)
男性であること、女性であることとその人の生き方が結びつく必要がない世界であってほしい。
現在一般的とされてる男女が恋愛関係になって恋人になったり、結婚して夫婦になったり、そういった「特別とされる関係」に、どの組み合わせでも自由になれる社会だったらいい。(そもそも自分がどちらであるか自由に選べるのだし!)
子供を増やすためには女性が必ず10ヶ月も注意を払い続けて「割れ物注意」というような扱いをしなければいけなかったり、苦痛がともなうこととか、全部なくなればいい。そういう「腹を痛めて生んだ子供です」な生み方はしたいだけがすればいい。ヒトを生むのが親の腹でも試験管でもいい。

夢物語なのは知ってる、宇宙生命体と契約して因果律書き換えないとありえないのは知ってる。
そうだったらどんなによかったことか。
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