Tuesday, 6 February 2024

『聲の形』を観て

よく一緒にアニメや映画を観てくれる友人と人の善悪について話していたとき、私に『聲の形』を見せたいと言われたのがきっかけで一週間ごしくらいに実際に一緒に見ることになった。聲の形というと公開された当時、たしかtwitterで「ろう者のお話なのに字幕付きの上映がない/少ない/遅い」(ねとらぼ記事があった)や「いじめの描き方に問題がある」と話題になったようなかすかな記憶がある程度で、私はどういうお話なのか全く知らなかったし、なぜ私に観てほしいのかはぼんやりとしか分からなかった。
実際に観たら予想の数倍は刺さってしまったので、記憶が薄れる前に思ったことを書き残しておきたい。

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Wednesday, 7 April 2021

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観て

前回から8年とちょっと過ぎていてびっくりします。破が公開された頃からずっとインターネットに住んでいた自分にもびっくりします。直近の1年はその大半をネットも含めた世界から離れていたのですが、それでも連続性のある「私」として同じブログに感想を書きに来ていることに驚きました。……まあ、そんなことはどうでもよく、シンエヴァを観てから3日ほど経つのでそろそろ消化しきれたかなと思い、感想をつらつらまとめています。

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Saturday, 2 November 2013

叛逆の物語をみて

もうおとといのことですが、魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語をみてきました。
事前に踏んでいたネタバレは「途中からほむほむの声がガハラさんにしか聞こえなくなってくる」くらいでしょうか。あとウロブチィって叫んでる人がいたとかいないとか。
相当まっさらな状態で見てきました。まだ観ていない人にも是非ニュートラルな気持ちであの物語に触れてほしいので、もしまだの人がいたら引き返して下さい。
……いなさそうだけど。
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Sunday, 25 November 2012

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを観て

公開から一週間近く経った11/23(金)、Qを観てきました。
事前に見かけてたネタバレ(見ても意味分からなかった)はこの二つくらい?

飲み会に一時間遅れていったシンジくんが
「今なんの話?」って輪に加わろうとしたら、「盛り下がるから黙っててくれる?」って怒られて
優しい友達が、「このギャグやればバカうけだよ」って気を使ってくれたんで
思い切ってやってみたら、「お前、それだけはやるなよ!」ってみんなに怒られて、
居酒屋の隅に寝っ転がって泣いてたら、友だちのアスカちゃんが「帰るわよ」って迎えに来てくれた話。

あと、金曜ロードショーでやってた冒頭6分38秒は2,3回通してみて、細かい部分を止めながら確認した、という感じの状態で観てきました。
以下、感想ともなんともつかないもの。
当然ながらネタバレ注意な感じなので、観てない人は逃げてー逃げてー!
パンフレットもさっき読んだので、観たけどパンフまだよって人も一応退避推奨?
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Thursday, 14 July 2011

電脳コイル観てる中でAWとの比較

期間限定で無料だということで電脳コイル見てる。
こういう未来ガジェットにはとても心惹かれる。

アクセルワールドでは脳と通信して現実を拡張するデバイスは首につけてるニューロリンカーだけれど、電脳コイルではメガネらしい。
ニューロリンカーが事故で外れることはあまりない気がするので、転んだだけでぼろっと落としてしまうメガネはちょっと不安。
また前者の方が社会のインフラとして欠かせない必需品になっているような?(インターネット以前の電話やテレビみたいな)
電脳コイルでは「メガネに興味ない」って言う人も居たのに対して、ニューロリンカーに興味ないって人はいないと思うし。

幼い頃から子供に与えるか否かはどちらも選択の余地があるように思える。
生身の体で現実を体験しておくことはやはり重要なのだろうし。

最近ものごとがどんどんデジタルに、バーチャルになっていくなか、どういうものはアナログで物質的なまま残しておいたらよくて、どういうものは迷わず実体を奪ってよいのか、と考える。

たとえばお金ってもともと労働の対価を直接ではなくやり取りできるようにするための概念だから、「これにはアナタがn時間働いて作ったxの価値があります」って共通して認められればなんでもよいわけで、実体がなくてもいいと思う。(実体のない電子マネーは不安だと思う人たちはクレジットカードも使わないんだろうね)
でも、たとえば観光地への旅行で楽しむ景色なんかはどんな腕のいい写真家がとっても今のところ画像にしかならないし、音声付の動画にしたところで空気の質感とか香りとかは再現できないし、何より自分が何を感じるかは既にその写真家や動画録った人やらのフィルタと通じて選別されてしまっているので、「この鳥の行方を追いたい」と思ってもフレームアウトしたらもう分からない、その機会は失われてしまう。もっと科学技術が発展して、今はデジタルに届けられない感覚も再現されるようになって、それを人間に入力できるようになったとしても、結局のところそれは”デジタル”である以上避けられないこととして「不連続な、ブツ切りのデータ」でしかないわけでして、たぶんどこまでも近似でしかない。たぶんね。
だから、どれほど通信技術が発達しても、旅行はなくならないと思う。

同様に本も、読書がただそこに記されている文字、記号を取り出していくだけの情報を取るための手段であるならその媒体が紙とインクだろうと、電子書籍だろうと、ぶっちゃけ不快感なく読めれば何でも良いだろうと思うので、そういう本は電子書籍の技術が発達してよりよい仕様が生まれる中で本屋から消えていくだろうけれど、娯楽としての読書には紙に指を滑らせページをカサカサ鳴らしながらめくる楽しみも、レイアウトや装丁を楽しむ面もあるから、そういうことを完全に再現して、かつ紙の本の不便な点である「重い」「(収納すると)かさばる」をクリアするような画期的な何かができない限り、娯楽として楽しまれている本はなくならないと思ってる。
(—!! 電撃文庫マガジンVol.20の付録の丸ごと一冊SAO,AWネタバレ—
あるいは、AWの神保町のように、オンデマンドで欲しい本だけを刷る世の中になるのかもしれない。それだとオンデマンド用のレイアウト/装丁を考えても採算が取れるような本でないと殺風景なことになりそうで悲しいけれど。
—ネタバレここまで—)

電脳コイルで電脳ペットを飼っていたけれど、動物を実際に飼う場合に発生する汚物処理をなくして、健康管理をウェットなものではなくして、という点ではとても私好みの設定だと思った。
ただ、触ってふかふかしていないとか、やっぱりそういう感覚はかけてしまうし、生身よりはお手軽なのかなーという程度。子供に与えて、万一死なせてしまったら動物に申し訳ない生身よりは罪悪感がなくてよいのかもしれない。

私が憑かれたように人間を生身の体から引っぺがして自由に器を移せるようにすべきだ!といっている件も、結局のところこの辺がイカンのだと思う。
「今の生身の体で得られる感覚の経験を、移し変えても同様に得られるようになるか?」とか、「移し変えたり、あるいはどっかにデータとして保管したりしてる人間の情報ってそれホントに人間なの?」とか、「生身から引っこ抜いた人間とよくできた人工知能の挙動に差が無かったら人工知能も命なのか?」とか…。

「生身から人間ひっぺがそうぜ」という私の発想のだめな点がいろいろ見えるね!
「情報にできない感覚」って唱えてるとクオリアの勉強しろカスって思われそうだね!