シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観て

前回から8年とちょっと過ぎていてびっくりします。破が公開された頃からずっとインターネットに住んでいた自分にもびっくりします。直近の1年はその大半をネットも含めた世界から離れていたのですが、それでも連続性のある「私」として同じブログに感想を書きに来ていることに驚きました。……まあ、そんなことはどうでもよく、シンエヴァを観てから3日ほど経つのでそろそろ消化しきれたかなと思い、感想をつらつらまとめています。

予告編すら観ていない状態で、既に見た知人に「みて最悪の気持ちになってほしい」などと言われたり、うっすらと「自己肯定モンスターになる」とかの曖昧なネタバレを食らっていたのですが、それ以外の事前情報はなしで行きました。
行ったタイミングが遅くてパンフレット買えなかったのですべてがうろおぼえてもうおしまい。

赤く滅びたパリでヴィレが何かしらのプロテクトを突破するためにパソコンで戦うと同時にマリに守られてるところから始まって、「え、シンジくんたちはどうなったん?」ってしばらくぽかーんとしてました。ヴィレの人たちは赤く滅びた街を正常化する技術を持っているらしい?先に成し遂げようとした人たちは(推定)時間切れで亡くなってしまったっぽい?ということしかこの時点では分からず。

Qの終わりの続きっぽい「歩くアスカ、シンジ、レイ」が歩いていくシーンは最近のポケモンMV (GOTCHA!)とかにもあるような子供が線路を歩いていくやつのポストアポカリプス版っぽいなってちょっと思いました。ここでシンジだけ力尽きて気絶したっぽいの、後から思えばアスカは新陳代謝がなくなって食べ物を食べない存在だからで、レイは…なんだったんだろう、とにかくまともな人間としての栄養補給がないと倒れる人間らしさはシンジにしかなかったという見方もできるなと思った。

目が覚めたシンジが鈴原トウジっぽい大人に会うの、トウジの妹がすっかりおとなになっていたことから予想できたかもしれないけれど、なんとなく「同級生の妹がおねえさんになっている」とか「元から大人だったおねえさんおにいさんが中年になってる」よりも「同級生が医者になっていて、しかも既に一児の父」な方が時間の経過を感じるしかなり衝撃を受けた。オタクくんポジションだったケンスケも落ち着きのある大人として塞ぎ込むシンジをそっと見守っていて、考えてみれば14歳だった彼らの14年後というのは28歳なので、もしかしたら平均的な28歳の人というのはあれくらい落ち着いているのかもしれない。私にはわからない。

第三村の生活を眺めていると、なんとなく「戦時中~戦後直後くらいの日本ってこんな感じだったのかな」という思いが頭をよぎった。もともと第3新東京市の暮らしは平成~令和の現代と同等の豊かな生活(もしかしたらそれ以上に進んだ部分もあるのかもしれない)があったと思っていたので、そこから第三村のなんとも言えない戦後っぽさを見ると慣れるまで大変だったんじゃないか、と思ってしまう。ただ、これはきっと既出だろうけれど各種災害後の泥に塗れた家屋とかを思い浮かべれば別に遠い世界の話ではなくて、そういう便利で豊かな生活になれた身に降りかかる不便で不潔でギリギリのサバイバルというのは誰にだって起こりうることなのだ、とちらりと思う。我々は誰もが第三村にいるかもしれないし、第三村にたどり着けずに死んだかもしれないし、あるいは大災害を生き延びたあとに事故でふっと亡くなってしまうかもしれない。

人の世の営みをなにもしらない仮称アヤナミレイが人間の赤ん坊と出会い、挨拶に込められた願いを知り、農作業を体験し、公共浴場で名前を選ぶ自由を知り、公共図書館で落とし物を拾ったら人に返すことを学び、どこまでも素直にまっすぐに、温かいコミュニティに馴染んでいく様子はひな鳥が飛び方を教わるような微笑ましさがあった。日頃は働かないアスカが有事に備えて街を守っていることから、同様に働かないシンジも守る人なのかと問う場面は無垢な質問で刺されるようだった。
それだけにアヤナミレイの突然の消失に、「私達はこのアヤナミレイを助けることもできなかった」と胸が締め付けられた。序で出会って破で助けたかった綾波レイも、彼女とは違っているけれどそれでも同じように人の温かさや優しさを素直に尊ぶ心を持っていたアヤナミレイも、私達観客にもシンジにもどうしようもない理由でいなくなってしまう。

第三村でシンジは加持リョウジ(二世)にも会って、かつてスイカ畑にいた加持リョウジがもういないことも知るわけだけど、私はあのあたりは「加持さんどうやってニアサーとめたの?」とひっかかりつつ「ああ、だからQにいなかったのか」と思った。加持さんは昔から死なざるを得ない立場になりがちなんだろうと思っていたから納得はするし、殺されるよりは自分で死に場所を選べただけ昔よりは良かったのかもしれない。
「もっとつばめを抱っこしたかった」けれど叶わないアヤナミレイの思い、「葛城を守ってくれ」と託された加持さんの思い、そういう思いを受けて生きているおとな、こども、加持リョウジ(二世)、その生活を支える人々の日々の営み、そういうものが「土の匂い」に詰まっている。

碇ゲンドウとの最後の戦いだとみんなが思っている出撃時、最後だと思ってシンジと内心の話をするアスカや、ぼろぼろになって最後の奥の手まで使うアスカ、それでも利用されて計画に取り込まれてしまうアスカが痛ましかった。人であることをやめていても人を守るために戦い続けるアスカはヴィレのメンバーに認められているように思ったし、一目置かれる存在らしいのに、それでも無条件な信頼はできなくて部屋に爆薬が念の為に仕掛けてあるらしいのが現実の厳しさだなあ、と思った。
アスカも(レイとは違うコンセプトで作られているんだろうけど)クローンだったというのがこのあたりのアスカ情報でびっくりしていて、代替可能な多数の中から(きっと)エヴァに乗り続けるために適性とか能力とかをきっと示し続けて生き残った一人から見ると(たとえ今は失われていても)かつては両親の愛を受けて、泣いていれば抱き上げられて、最初からたった一人の碇シンジとして生きていたシンジは「親の七光り」でエヴァにのるだけの存在だっただろうし、自分と同じでクローンなのに司令が気にかけている綾波レイは「えこ贔屓」だったろうなあ、と思う。なんでマリが「コネメガネ」なのかははっきり分からなかったけれど、マリがアスカを「姫」って大切にしていてよかったし、アスカを助けてってお願いしてくれる人がいて本当に良かった。

冬月さんにイスカリオテのマリアってどういうことですか詳しく、と聞きたくなったマリ、シンジたちの世代じゃなくて親世代なのは分かったけれどなんでエヴァに乗っていて最終的に何が目的だったかのかはいまひとつはっきり分からなかった。アスカやシンジを見守ってサポートする立場だったのかなあ、くらいしか分からない。
もうちょっと丁寧に見たらわかるんだろうか。いいキャラしてるな~という表面的な好感度しか持てなくてごめんねという気持ち。

マイナス宇宙がどうの~ヴィレにはもう手出しができない~エヴァ初号機なら行けるかも~のくだりでミサトとシンジが序~破で築いていた信頼が失われてなくて、ニアサーで良くも悪くも変わったけれどミサトはシンジの現場指揮官のままだった、シンジはエヴァンゲリオン初号機専属パイロットだった、みたいに思えてだいぶぐっと来ました。
クルーがシンジ相手に発砲してでも止めようとしたのをミサトがかばった時、あの瞬間は「え、大丈夫?あとで手当するのかな」と思ったけれど蓋を開けてみたらクルーを退避させて艦長仕草するって分かってたんだろうな、って思った。
ミサトさんは昔は「中学生にセクシー写真(笑)を送るやばい人」「上司としてだめ」みたいな評価をされがちだったと思うけれど、新劇場版を通じてシンジをちゃんと信じてあげつつ上司として守ろうとする姿が描かれてよかったなーと思う。
ミサトさんはもともと中学生の時にセカンドインパクトを目撃していたという意味で「父親の計画で辛い目にあって、それを乗り越えて戦ってきた」という意味で育ったシンジのような存在でもあり、「パートナーを失った後、子供を遠ざけてでも成し遂げないといけない目標のために戦い続けた」という意味ではゲンドウと対比できそうであり(寡夫vs寡婦の決戦)、うまく言葉にならないのだけれどシンジと匹敵する重要なポジションにいるように思えた。
最後の突撃をする時に髪を解いて14年前の髪型に戻るのが、本当はニアサーの時に加持さんと一緒に行きたかった時の続きなのもあるかな?とか思ったり。

ひとりひとりお話の舞台から降りていく中、ゲンドウの事情が明かされていく部分はシンジとゲンドウの親子さが伝わってきて切なかった。人を遠ざけてきた臆病者の心が唯一の光を失った時にどうするのか、みたいなことを考える。
ユイとしか心を通わせられなかったゲンドウが作り出したレイはエヴァでしか人と繋がれない、みたいなことも考える。
カヲル君が父さんみたいだ、というシンジの発言のことを考えていると、目的のために手段を選ばなくなってしまう前のゲンドウはそっとシンジを見守れるお父さんだった時期もあったのかな、そうしたい心もどこかにあったのかな、と思う。

舞台の大道具のように吹き飛ぶ街の中でシンジとゲンドウがよく似た姿のエヴァ二機で殴り合う部分はよくわからなかったんだけど、ロボットが殴り合って状況を解決するお話ではなくて、話し合うことでしか解決できないということなのかな。エヴァンゲリオンのない世界にするためのネオンジェネシスをするというのは、世界の命運が子供の恐怖や不安に左右されない、第三村の人々のように地の足のついた暮らしをする世界にする、つまり現実に帰ろうという話なんだとは思った。オタクたちへのアニメを捨てよ、街に出ようというメッセージ?

シンジの落とし前はつきましたよ、あなたはどうします?と問われているようで読後感(じゃないな、見後感?)がざらざらしていて、こうやってだらだら書いているうちに一週間以上たってしまった。そのうち円盤が出たらもうちょっと咀嚼したい。

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