髪を切った話

近頃は本当に何も書くことが無くて、つまり何も考えていなくて、あるいは考えたことが一向にまとまらないままtwitterに書き散らされては霧散していくので、ふらっと髪を切ったことについて書こうと思い立ち、久しぶりに管理画面を開いて見ます。
……なんだこの手紙っぽい書き出し。

髪をですね、切りました。
小学生の頃から、確か低学年の頃に一度、肩につくかつかないか程度まで短くしたことがあった以外は、基本的に長くひらひらと伸ばしていたのですが、先日(4月16日)、おそらく十年ぶりくらいに肩の下程度まで短くしてしまいました。
長い髪なんて私の大嫌いな”おんならしさ”の最たるものではないか、と思うこともありましたが、髪が長いことによる様々な利点、気に入っていること、そして変化を嫌う気持ちから今まで大きく切らずに居たのを、ついにばさっと切ってしまったわけなのですが、その理由もまた変化に耐えられない気持ちによるものなので、私の髪の長さは常に私の意志の弱さを体現しているのだなと痛感します。

今まで髪をあまりたくさんは切らずにいた様々な理由、そして今回切ってしまった理由を話すと長いのですが、せっかくなので書いてみます。

まず、実用性という面から。
元がある程度長ければ、1年くらい切らずにいても10cmやそこら伸びた程度ではたいした変化にならず、髪を切っていないことは毛先の状態の悪化くらいでしか分からなくなり、髪を切りに行くことに苦痛を感じる場合にとても便利です。
私は髪質のためか、ゆるく適当に髪ゴムでくくるとゴムがずるずると時間をかけて滑り落ちていくのですが、長いと寝起きに適当に縛っても床に落ちるまでかなりの猶予があります、もはや落ちません。しっかり縛れる長さだと、縛ってしまえば視界に入ることも無く、邪魔にもならず、便利です。
しっかり伸ばしていればポニテをさらに折りたたんでしまうことにより、限界まで涼しくすることも可能に!暑い夏もこれで安心!畳めない長さだと首にかかって不愉快。
また、肩より下が上より重くなると下を向いても髪が前に落ちてこないので、縛れないときでもしっかり顔の周りの空間を確保できます。(下を向く角度によっては腕の下からべろーっと出てきますが)(うがいするときとか便利です)
冬に首周りが寒いと思ったら首にくるっと巻けますし、下ろしておけば背中も温かく、便利です。防水にもなる…かもしれない。
顔の周りに垂らしておけば、表情を隠しやすくなります。(これはそれほど長い必要がある項目ではありませんが)

次いで、実用性は無いけど気に入っていたことを。
二次元の長髪キャラが好きになることが多いので、彼ら彼女らの髪型が果たして再現可能なものなのかを自分の頭で検証できることはキャラ達とのつながりを感じられて、わりと楽しいのです。
髪を気に入っていてくれてる風の友達がいますから、できれば長いまま保っておきたいとも思います。

切らなかった理由である変化を嫌う気持ちについて。
一般に伸ばした髪をばっさり切るのは失恋などの大きな心境の変化が伴うとされますし、その辺ごちゃごちゃ言われるのがイヤでした。
髪が長い自分に慣れていて、その状態が自然でした。短く切るというのは不自然に思えます。
何より、髪を切るというのは切り落とした後に「やっぱりもうちょっと長いほうがよい」と思ってもどうすることもできない、不可逆的な変化ですから、それなら「いつでも切りたくなったら切れる」という長い状態に保っておくほうが便利に思って、切らずにいました。

しかし、同様の「変化に耐えられない気持ち」のため、私は40cm近くの髪を切り落とし、不便を嘆きながらひと月近くも暮らしているのです。

最初に断っておかなければならないのが、私が(その長短は問わず)髪を切ること自体を決めたのは、親からの度重なる「長すぎる、異常だ、不自然だ、気持ちわるい」という苦情が原因でした。決して自発的なものではなく、もううるささから逃れたい一心で「わかったよ切ればいいんでしょう」と自棄になって切ることにしたのです。
どれくらい切ろう?と考えたとき、いつもなら切られる長さを最少にしようと考え、美容師に10cmほどお願いします~などと言い、申し訳程度に毛先を整えるだけにするのですが、今回は迷いました。
私は大の美容師嫌いで、本当は自分で切ってやろうかと思うほどに美容室という空間が嫌いで、荷物を奪われ、眼鏡をどこかに持っていかれ、得体の知れない雑誌を積まれ、根掘り葉掘り身の上話をするよう強いられる環境がまったく耐えられないのです。
小さい頃は分厚い本を持っていって読んでいれば、「へえ~すごいね~えらいね~」「英語よめるんだね~帰国子女~?」などと言われているのに適当に答え、適当に黙殺していても頭でっかちなガキだなあで許してもらえると思い、そうしていたので全く苦痛ではなかったのですが、さすがに高校生にもなると(中学の間は多分髪を切っていない)、そうもいかないだろう、と思ったのが地獄の始まりで、人間として認識されるためには話しかけられるのに返事はせねばならないだろうと思ってきちんと答えていると「彼氏いないの~」「髪染めないの~」「もうちょっとすかないと重くて暗い印象になるよ~」と言われるようになるわ、大学に入った僅かな期間に行った時は「大学生?」「大学どこなの?何学部?何勉強してるの?彼氏いる?大学楽しい?」に変わり、最早美容師という存在と喋ることは不可能だと確信するにいたりました。
高校生のときの会話が、大学生だったときの会話が、あれほどひどいものだったのなら、では、大学生でさえなく、かといって社会人でもない、この世間の隙間にある身は一体どのような会話を強いられるのか?そう考えたとき私はそれは最早許容できるレベルを超えた苦痛だと思い、できるだけ長いことその苦痛から逃れ続けることのできる選択をしようと思ったのです。
本当は20cmくらい切れば2年は行かなくてもよくなる、と思っていたのですが、それなら10cm足せば寄付できるし、30cm切ってもらおう、と思い、そう指定したところ40cm近く切り落とされてしまった、本来の希望の倍近くも短くされてしまった、という、なんとも情けないオチなのですが、まあ、これで3,4年は髪を切りに行かなくても「前はこれくらいあった」という主張で親を黙らせることができるなーと思えば。

最後に、髪を切ってから変わったことを少し。
まず、何も考えずに髪を縛ろうとすると長さが足りなくてうまくしばれません。だって今まで縛っていたような位置に毛先があるので。しっかり寄せ集めてぐいぐいと縛らねばならないです。不便です。
しかしその代わりに縛らずとも、(しゃがんだり、椅子に座った状態で床のものを拾おうと)頭を下げた拍子に髪が床につく心配をせずにすみますし(これが切ってよかったかもしれないと思える唯一の点です)、縛るメリットが減ったように思うので、そこまで困ってもいないかも。
縛らないと以前より不便なのが、ご飯を食べるときに縛り忘れていると机に毛先が乗るのがちょっとした脅威であることと、ハミガキしたときにうがいなどで頻繁に下を向くわけですが、以前は腕にひっかけておけば顔の周りの空間を確保できて安全に水を吐き出せたのが、しっかり括っていないとしっかり口の近くをふわふわ漂うようになってしまって、おちおち水を吐けないという二点が大きいです。
以前は寝起きでヘタに肘をついて身体を起こすと髪を肘で押さえているために自分の首を絞めそうになることがよくあったのですが、もうそういうことがなくてちょっと寂しいです。また、寝るときに以前はしっかり髪を枕の外へ押しやっておけば寝返りを打っても快適に眠れたのに、最近はヘタに寝返るとちくちくと毛先が顔やらに刺さってきて大変不愉快です。
近頃は肩の辺りでくしゃっとなる癖がついてきていて、今まで美容師さんに「くせっけですね」と言われるたびに「コイツはどこに目がついてるんだ」と思っていたのを反省するようになりました。伸ばすと分からなくなるけど実は癖がつきやすい髪だったらしいです。
正直ぴよぴよした間抜けな頭なので2年くらい人間だれも会いたくない気もたまにします。

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