不必要な精神

私の自我が必要とされていない、と思う。

概ね健康な肉体を持ち、意思疎通に問題が無く、記憶力はそれほどよくないが物覚えは悪くは無い、そういう人間の使い道はあると思う。
「ちょっとダイエットすれば美人になる」「ちょっと頑張ればいい大学入れる」「ちょっと練習すれば上手くなる」「ちょっとすれば」「ちょっとで」
素材は良いのだから、努力するべきだ、最善を尽くすべきだ、改善すべきだ、醜悪な精神を叩き潰せ、健康で健全な人間になれ、そういうのは自然なのかもしれないけれど。
でも、でも。
どうしようもなく、私はその醜悪でいびつで不健全で、無能で、怠惰で、そういったものを私だと思っている、そういう自分は大嫌いだけれど、そこで努力できる私はないと二十一年かけて学んできた、頑張ったところで自分が善性を獲得したと勘違いして残酷になるだけだと知ってしまった、無能で無害で呪いを撒き散らす存在で、クローゼットの奥底に封印しておくべきものだと、私はそういったものだと思っているから。

だから、必要とされているのは私にとっての私ではないし、私にとっての私は誰にも必要とされえない。
なぜなら私が一番そういう私を必要としていなくて、葬り去りたくて、仕方ないのだから。

わかりきったことなのだけれど、わかりきっているのだけれど、それでも、それでもたまに、その私にさえ疎まれる私が何かよいことをしてしまったのではないかと勘違いして、残酷に私に期待をかけて、期待が外れれば不必要でしかありえない自分というものを、再確認して、額に深くしるしを刻み、少しでも早く、このろくでなしのできそこないがいなくなってしまうことを願う。

この精神が跡形もなく消えてしまえば、浄化された肉体は存外なにかの役に立つのではないか、よくアニメや漫画でみかけるような「心が死んでいるからなんでもできる」みたいな何かになってどこかで使われてはくれないか、そんな非現実的なことを考えては虫がいいにもほどがあるって思ってしまう。
これだから現実はいやなんだ。

追記
念のために付け加えるけれど、私は自分が痩せたら美人になるとは一切思わないしそういうことを言う親はさすが親ばかであるなあと思う。
多少体型を絞ったところで美人には程遠いし、よほど本気で美術(化粧)にでも取り組まない限り他人にそう錯覚させることが難しい程度の顔であるし、そりゃ痩せてかわいい服を着て化粧をすればどんなモンスターでも女の子になれる世界でしょうからそういう意味で人間になる努力をしろという意味なのだろうと思っている。しかしそういう自分の容貌の改善に取り組むくらいならまだ自分の精神をハンマーで叩き割る作業にでも励むほうがましだととも思ってる。

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