ものを買うということ

ものを買う。
“もの”は物でも事(サービス)でもいい。その何かを得るために、代価として自分の手元からお金とされる何かを幾らか―”もの”の価値に見合った分量―差し出すこと。
ものを作り出すために、あるいは、ことを行うために、割かれた誰かの時間と労力に正しく報いるための報酬。

経済のことは分からない、お金の意味なんて「労働をポータブルにやり取りするためのパラメーター」くらいしか考えたことがない、そんな世間知らずのガキですが、自分が何かを買うのって結構大変なことかもしれない、とか思った。

私が何かを買おうと思ったら、そのために払われるお金は私が親に貰ったもので、つまり父が稼いできたお金で、つまり父の時間と誰かの時間を交換して私はその成果を横取りする形になる。
働けクズニート。
今のところ親に労働しろ、俺の金を使うな、とは言われない、むしろそれどころかアルバイトを禁じられる感じになってしまっているのだけれど、なんにせよ父の労働にただ乗りしてるのは確かだ。
父を雇用している企業は父が既婚子持ちのオッサンだと(雇った当時は独身の若者だったと思うけど)了解しているし、当然給料も家族を養えるように設定されているだろうと、そして父に課される仕事もそれに見合った水準で要求されているだろうとも思うし、父が馘首される様子もないのできっとそれに応えているのだろうと思う。
私が親に貰うお金は企業から与えられる給料の中で想定される「子供に使わせてもいい余裕」に当然収まっているのだろうから、あまり気にせずに自立するまでは堂々と貰い続けていいのかもしれないけれど、労働していないし、労働以外のことをしているだけの価値のある人間だとも思えないし、そういう意味で最近はうしろめたく思う。
親は渡したお金を私が何に使っているのか、大まかにではあるものの、ぼんやりと把握しているし、気に入らないことに使おうとしたら止めるから、うーん。
こうやって書いていると、気にしなくてもいいのかもしれない、と幾らか思う。
家庭内でどうであれ、社会的には他者が代価を払うような価値のあるものを作っていないクズニートであることは確定的に明らか。

ところで、親の「使ってもいいよ」「だめだよ」と言うことの基準はよく分からない。
たとえば、先日「MacBook Air持ち歩く時に入れ物ないと表面傷つきそうだし各種穴(電源とかUSBとかの)にゴミ入りそうで怖い」とケースがほしいことを伝えたら買う許可は下りたし、ヨドバシカメラでMaclove Messager for MacBook Airを見かけたのでほしいんだけどいいかなー値引きしてくれるらしいし、と連絡していかに素晴らしいかを力説したら渋々許可とお金をくれた。装備の維持にはお金かけても良いらしい。

でも一方で、頑として聞き入れてもらえないものもある。

twitterで私がワアワアとわめいているのを見ていれば分かると思うのですが、最近写真がアツい。カメラ欲しくなってる。
今のカメラではどうしても撮れないことがある、とジタバタしてカメラな人々の様子を眺め、薦められた機種を唱えながらヨドバシカメラに行って、綺麗なお姉さんに斯々然々でいいカメラないかなーという話をしていて最終的に薦められたK-rを、親に斯々然々でほしい、妹の部活動の公演までに買うのはどうだろう、と言ってみたら「カメラなんて……」と突っぱねられてしまって、夏にしていたアルバイトの給料(先日振り込まれた)とか、最後のお年玉とか、そういった貯蓄をはたいて買うのもだめだ、と言われてしまって、もちろんそういう貯蓄は私が自分の手でアクセスできるものだから、親にダメと言われても買うことはできるのだけれど、なんにせよ強くダメだといわれてしまった。
装備を新しくするのはダメらしい?

(airもだけど)K-rを私が持ったところで写真で稼げるわけでもないし、そういう意味での必要はないし、あくまで「撮りたいものを撮れたらいい」という私のぼんやりとした願いでしかないし、さらにいうなら写真を人に褒められることがたまにあるのが嬉しくて、もしその褒められるのが私の撮りたいものを撮れたものに対してであるならば、もっと撮りたいものを撮れるようになればもっと褒めてもらえるのかなと思った、そのために欲しがった、そんな不純な理由で欲しいものだから、親はそういった私の汚さを分かって買うなと言っているのかなーとぼんやり思う。
また、そんなよくわからない理由で欲しがっているだけでカメラほんとに持っていいの?とか、カメラ新調したら実は全然「撮りたいものを撮った写真」は褒められないというか認められないというか不自由な中であくせくした写真だからよいと思われていたのではないかとかそんな、やっぱり汚い悩みを抱いていたりもする。
きっとヒトコトでまとめるならば、分不相応なのではないか、ということ。
結局、最終的には私の自己評価の低さが楽しみの楽しみをゾリゾリと殺いでしまう。

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