一週間前、数年ぶりに祖父母に会った。
私は兎にも角にも不孝なので、おそらく高校を卒業してから一度か二度、会ったか会ってないかというレベルだった。祖母が転んで骨折し、入院した折に見舞ったきりかもしれない。退院後も生活が不自由で、ヘルパーさんを呼んでいるとか、ヘルパーさんでも面倒を見きれなくなって介護付き老人ホームに入るとか、話には聞いていたものの、顔を見せるのが恥ずかしく、これまで一度も会いに行っていなかった。
どういう心境の変化があったのかはまた別の話なのでおいておくとして、会うべき理由ができたから会いに行くことにしたのが先週だった。
矍鑠としていた祖母はすっかり小さくなって、私が誰かすら分からなかった。
もともと足腰の悪かった祖父は施設内で杖をつき、私のことは覚えていたけれど会話が何度も前後し、とても話したかったことを話せる状態ではなかった。
親よりも先に日本に帰国した私を半年も預かってくれたのは、ほんの十年ほど前だった。数年前までは己の老いよりも自分の子供や孫の未来を心配していた祖母だった。
それが、「あたしねえ、ばかだからすぐわからなくなっちゃって、全部わすれちゃうの」「みんな元気が一番よ」「なんだか涙が止まらなくて、あたし泣き虫なのよ」とぼそぼそと繰り返し、私が昔はるばるアメリカまで私の面倒を見るために来てくれた時のことや、私を預かってくれた時のことを話せば、祖母は泣きながら「あたしが忘れちゃっても、みんなが覚えていてくれるのね」と言い、ふいにあたりを見回して「みんなどこへ行っちゃったの」と不安げにするのだ。
あの祖母が。年齢を忘れるほどはきはきと喋り、足腰もしっかりしていて、骨折したときだって祖父が転びそうだったから慌てて助けようとして自分が骨折するような顛末だったあの祖母が。
ずっと伯父夫婦を近所で支えてきた祖父母が、老人ホームで寂しそうにしていた姿は、私の想像よりもずっと堪えた。
どうしようもなく恥ずかしかった。一族の恥だと思われることを恐れて顔を出さなかった私が恥ずかしかった。もっと、元気なうちに会いに行くべきだった。私を覚えているうちに会いに行くべきだった。