今日の昼頃、分厚い簡易書留と、分厚い封筒が届いた。私宛で、差出人欄を見ると祖母からの手紙らしい。
私は先日、19歳の誕生日を迎えたので、そのお祝いの手紙だろう。そう思って開いてみたところ、簡易書留は商品券と四枚の便箋、普通の封筒の方には「追伸」と記された便箋が七枚入っていた。どう考えてもただのお祝いの手紙じゃない。なんだこれ。最近は祖母も目が悪くなってきたから、計11枚もの便箋を字で埋めるのは大変だっただろうに。
そんなことを考えながら読んでみたんですが、簡潔にまとめると、
- おめでとう
- 近況(特攻隊の慰霊祭行ったよ)
- 自身の戦争体験
- 近頃の社会への不安
といった内容でした。
もうちょっと詳しく書きます。ちなみに後半はだいぶぐだぐだです。
特攻隊の慰霊祭というのは、祖父の兄が大空襲の後くらいの時期に零戦に乗って帰らない人になった、つまり祭られてる人なので、遺族として参加してるってことですね。
東京で生まれ育った祖母は戦時中はもう今で言う女子高生くらいの年齢だったとのことで、勤労奉仕に出たり、出征した兄に代わって家族を守ったり、大空襲で焼け出されたりと、本当に大変だったとのことです。祖母の両親は関東大震災と東京大空襲を両方経て無一文になり、残った焼け野原を耕してはトウモロコシやカボチャを育て、辛うじて食いつないでいたのだと。少しでも生き延びられるように何も捨てられず、どうにか工夫を凝らして使っていたのだと。
そういう経験を持つ世代の人からすると、今のものや情報に満ち溢れた社会ってどう見えているんだろう。
私は物心ついたころには家にファミコンがあって、小学校に上がった頃にはパソコン(Win95だったかな)がやってきて、中学生になったらごく自然に連絡用の携帯電話(当時はプリペイドだった)を与えられて、ブログやサイトを持つようになり、そんな調子で今に至るわけですが、足の小指なんかはそっくりなほど血のつながった祖母と私で、きっと社会の見え方は全然違うんだろう。
老いで難儀するようになったとも、祖母は書いていた。
元々は大変丈夫な体を持ち、至って健康で素晴らしい運動神経を備えた人だったという。(もちろん、私が生まれた時点でおばあさんだったので走ったり跳んだりしているのを見たことはないものの、数々の逸話を父からよく聞いてます。そして残念なことに、その運動能力は私には受け継がれなかったと。)
そんな人も、愈々老いで不自由になっていく体に難儀しているというのです。
近頃は不安をよく感じるらしいのですが、それは老いへの不安ではなく、社会への不安、いつか残して逝かなければならない子供や孫の将来への不安だと言っていました。
多分その不安のひとかけらくらいは出来の悪い孫娘(※私)が原因を担っているのだろうと思うのですが、その大半は社会そのものへの不安らしいです。
父や私が、大きな負担を背負ってたくさんの苦労をせざるをえない社会になっているのではないか、生きづらい世の中になっていくのではないか、と心配しているらしい。
それは私も心配です。私も不安です。
きっと先の見えている人生なんて何処にもないけれど、それでもきっと私は祖母より幾らか波乱の少ない人生を生きるだろうと思うけれど、やっぱり不安です。
「古きよき日本人」の背骨であった「勤勉さ」「真面目さ」「誠実さ」が失われているように思うと祖母が嘆きつつ書くことは、そのまま私にも適用されるから。
自分の国の在り方が分からない国民であることが悲しい。
自分自身の在り方が分からないことと同じくらい悲しい。
それでも時間は過ぎてしまいますし、私もまた刻一刻といつとも知れない死に向かって進んでいるので。
祖母がこうして元気に長い手紙を送ってくれる間に、祖母に少しでも安心してもらえる社会や孫になったら、なれたらいいなと、非常に分不相応なことを考える今日この頃なのです。