ゲームって人生じゃね?

午前三時頃のこと。
殆ど引きこもりのような生活をしているばかりに、中3の夏にカップ麺で火傷したトラウマを抱えながらもカップ麺やらインスタント食品に頼らざるを得ない自分が情けないのだけれど。
暑さ対策と称してよれよれの観光地Tシャツと短パンに身を包み、一日ほど古くなった新聞や未開封の郵便物を左手に、明かりを落とした食卓で静かに麺を頬張りながら、ぼんやりと今やっているゲームのパーティ編成をより合理的に組み替えられはしないかなどと考えていたら、タイトルのような考えが降ってきた。おい雑魚相手にhageないパーティのアイディア降って来いよ。
(しかし、そもそもtwitterのbio等に浪人と名乗っておきながら何故ゲームをしているのかと言う問題がある)
で、深夜だからと油断して頭の悪い、支離滅裂な文章を書こうとしていたはずが、WordPressのアップデートに手間取っているうちに、気がつけば外では鳥が囀り、階段の明り取りから光が差し込み、早朝と言われる時間帯に移ってしまったらしい。なんてこった。
そもそも深夜だから見る人が少ないだろうという発想が流速の衰えるタイムラインを前提としたものであって、フィードを購読されてしまう可能性があるブログだと全然あてにならない。何考えてんだコイツ。

わざとらしく脱線してみた。
で、タイトルに戻ろう。
ゲームって人生じゃね?について。

そんな考えに至った原因は上の脱線前振りの中にも多少触れているように、現在やっているゲームのパーティについて考えていたことにある。
私は世界樹の迷宮シリーズの第三作目をやっているのだけれど、このゲームではキャラクターを作るうえでLvアップと共に付与されるスキルポイントを消費してスキルを習得するので、プレイヤーごとに同じ職種のキャラクターを使っていてもスキル構成が違ってきたり、またそれでパーティ内のキャラクターの役割が変わったりする。スキルポイントはレベルカンスト級まで育成しても全てのスキルを取得するには足りないので、必然的に取捨選択がかなり重要となる。ぶっちゃけ、スキル構成をミスるとどんなに素敵なステータスをもった職種のキャラでも空気になりうる。
で、そのゲームで使っているパーティメンバーがそろそろ上限であるLv99近くなったので、引退したい、その先どうしよう、というようなことを考えてる。
※引退するとレベルが大幅に下がるけれど、引退前のレベルに応じてステータス基本値とスキルポイントにボーナスがつき、強化される
日々スキル計算やら、キャラの俺設定についての妄想やら、まあそういうろくでもないことに励んでいるわけなんだけれど、プレイヤーの性格が出るのか、私のパーティは大体、器用貧乏型の役割不明なキャラクターが多くなり、攻防のバランスが悪く「なにやりたいんだこいつら」というメンバーになることが多く、現在も割りとそんな感じに苦しんでいる。
効率を重視して、2chの攻略スレやら攻略wikiやらを参考にした”最強”パーティを揃えることは簡単だろう。しかしそれでいいのか?と考えると、ちょっと躊躇われる。
じゃあ、ロマンを追求して趣味だけのパーティを組んで、それで死の樹海を踏破できるのか。それもまた、あまりゲームのデータに纏わるセンスがないからクリアできる自信がなくて躊躇われてしまう。
で、結果として半端にロマンを求めて半端に攻略を考慮した、バフ役は二人いるけどデバフは足りない、というようなパーティになる。

で、散々ゲームの話をしてしまったのでそろそろ人生がどうしたよ、という話もしたいんだけれど、そもそもゲームに人生を重ねて見るのはそう珍しい考え方ではなくて、宮部みゆきの『ブレイブストーリー』、川原礫の『ソードアートオンライン』『アクセルワールド』などでもそのようなことを登場人物が言ったり、匂わせたりする場面はあった。(…ような気がする)
ただ、まあ、そういう創作物で出くわすとついつい説教臭いと感じてしまってあまり真剣に受け止めることはなく、精々親にゲームから足を洗えと咎められた際に「この様に考えることもできるのだからゲーム即ち悪であるという考え方に賛同することは出来ない」などと屁理屈を捏ねる材料にしかせずにいた。

ゲームが人生、あるいは人生がゲームだと感じた点は幾つかあって、大きくまとめてしまえば次の二つになる。
※全てのゲームに当てはまるわけではなく、世界樹が人生だなーと感じた点です
まず一つに、スキルポイントの上限が定まっていて、その過程で習得できるスキルには同様に限りがあるということ。人間が死に至る生き物である以上、時間は有限であり、巻き戻すことはできない。
次に、セーブスロットが一つしかなく、やり直そうと思ったら初期化するしかない点。周回はやり直しではなく、浪人とかの人生の一定区間をループするような状態だと考えて。なにより、プレイヤーがそのシナリオに息を呑み感動し心を震わされるのは初めてプレイする一周目なので。

違ってるところはSQシリーズと違って休養でレベルを下げてスキルポイントを振りなおせないところか。
人生に時間を巻き戻すオプションは実装されてない。

無駄のないクリアを目標にした合理的な生き方、スキルの取り方をするのも、ロマンを追求したスキルで何処まで行けるか自分の力を試すのも、プレイヤー=自分の自由。
初期化して今度はロマン、今度は最強パーティ、などとやることもできるだろうけど、残念ながら生身の人間は前世の記憶を持ち越せる保証が何処にも無いから、この人生が一度きりのプレイ機会。
所謂”死にスキル”に費やしてしまったスキルポイントは戻らない。

きっちり上限が数字で分かっているゲームのキャラクターと違って、自分が何時死ぬのか分からないから、その点は全然違う。きっちりと最後の1SPまで有効に使えるのと、大幅な揺らぎがあるのではスキル設計の仕方が全然違う。

なんか書いてるうちに違うところがボロボロ出てきたし、考えの浅さが丸出しになってる。
しかも早朝じゃなくて普通に朝になってきた。全く、これだから遅筆は。

無駄に長く書いてしまったんだけれど、人生は一度しか経験できない、やり直しを試みたところでそれは私ではない、時間は巻き戻らない、などという極々当たり前の現実に今更行き当たって、呆然としてしまった。…というだけの話です。

各種予備校から来た、手付かずの宣伝パンフ入りの封筒の数々が古新聞の上に積まれた様を眺めながら、ぽろぽろと、そう美味くも無い焼きそばのソースを洗い流した、そんな深夜でした。

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