化物語を読んでいて思ったこと

現在、化から猫(白)までを読了していて、傾が途中、あと何故か鬼を先に読んでしまっているという状況です。
で、その主に猫の二冊を呼んで羽川さんについて思ったことなのですが、多分もう原作ずっと追ってる人は語りつくしてることだろうと思うのでn番煎じかもしれない。
一応未読の人がいる場合に備えて畳んでおく。

ところで(化物語が再放送中なのだけど)なでこちゃん可愛いです。

羽川さんがなんかスゲエというのはアララギ君の視点で散々語りつくされていることだし、それは羽川さんが語り手になったところで結局かわらなくて、あの人は本当にどこまでもすごいのだとよくよく分かった。
羽川さんが何故猫なのか。(他の人が何故その怪異なのか、はあんまり考えてない)
こじつけもいいところ、というようなことだろうけれど、copycatという言葉をふと思い出して、羽川さんは自分の中の「普通の人」像のコピーを演じて生きてきたのかなあ、模倣していたのかなあ、とかぼんやりと思った。
もちろん、「普通さ」というのはどこにも「オリジナルが無いコピー」にしかなりえなくて、本当に「普通」であるというのはそのまま異常さなのだけれど。(普通であろうとすることが異常だというのは、『断章のグリム』(甲田学人)にも書かれているし、そうだと思う)

自分に「斯くあるべし」という枠を規定して暮らす、というのは誰しも少なからずやっていることだと思うのだけど、それを完璧に実行できてしまっていた羽川さんはすごいし、異常だった。
私程度の凡人じゃあ、自分の定めた自分のキャラクター性を貫けないし、アラがでるし、不定形で不気味なキャラクターにしかなりえないもの。羽川さんはすごい。

ここまで読み進めても相変わらず戦場ヶ原さんが好きだし是非罵ってほしいと思うのだけど、でも友達になるならひたぎさんより神原さんのほうが面白そうだし、クラスメイトになるなら羽川さんがいいし、近所にファイアーシスターズがいたら大層愉快だと思う。つまり三次元から二次元の住人をウヘヘと眺めるにはひたぎさんがいいけど、身近にいたら仲良くなれる自信はないなあ、と思わされる。のです。

以下羽川さんに関係ないはなし。
「怪異」に対して薀蓄を垂れながら対処していく、というスタイルは、甲田作品にも通じる部分があって、結構好きなのかなあ、と思う。
西尾維新は、戯言シリーズ(と付随する零崎たちの話)を読んで、もういいや、って思っていた。言ってしまえば、空の境界とFateで奈須きのこもういっかーってなるのと似た感じ。文体のくせがつよいから、過剰に摂取すると重いって思ってしまうんだと思う。
戯言シリーズはまだ本棚に眠っているし、嫌いになったわけではないから、人にすすめられたら一応よんでみてもいっかーという気持ちで化物語は読んでいて、真剣なファンには申し訳ないくらい軽い気持ちで接している。ところでやっぱり年数経ってるからなのか、化物語は戯言ほどこってりしてない、まろやかになったなあと思います。
そういえば甲田学人も相当文体が独特で、考えてみれば私は森博嗣も一時期相当ハマっていたわけで、そのまた昔のラノベを読み始めたばかりの時期はハセガワケイスケとかもすごい好きだったわけで(あれも相当独特だ)、濃いのが好きだったのかなあ、とか思う。
最近読んでるものはそこまで個性の濃い文体の人って多分いなくて、と書きかけたところで、川原礫は確かに普通にサラサラ読めるタイプだけど、他はそうでもなかったような……。

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