Wednesday, 25 January 2012

愛ってなんなんだってばよ

茶化さないと書けない。愛ってなんなんだってばよ?
広辞苑先生に頼っても、デリケートな話題に於いては無為にたらい回しに遭うだけだということを、小学生のときに私は学びました。なので、辞書に頼らず、自分の頭で考えてみようと思います。
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Sunday, 22 January 2012

成人の日の話

今月の九日、成人の日だったので、地元の成人式には行かず、高校の同窓会に出ました。
というのも、現在住んでいる地域と言うのは高校にあがってから引っ越してきたところでして、全く知り合いがいないので、行った所で…こう…はい………。追々、記念品を貰いに市庁舎を訪ねる予定はあります。

同窓会には行ったのです。
だいぶ前に「振袖を着る」と、母親に対してあまりに安易に請け負ってしまったがため、当日までは本当に絶望的な気分でしたし、前日は徹夜でもして「起きられなくていけませんでした><」をやろうか、と少し思う程度に動転していました。
私は振袖と言うものをとても軽く見ていました。反省しています。もう二度と着たくないし、化粧も二度としたくない、というくらい嫌だった。facebookで友人の手で続々と写真がアップロードされたようなのですが、自分が写っているものを見てしまうと、あまりの醜悪さに背筋がぞわぞわします。(私がカメラを構えたがるのは、ファインダーのこちら側にいる限り、そこにどんな姿の何がいるかは誰にもわからないし、誰も気にしないで居てくれるような気がするから、というのも幾らかあるかもしれない)
「化粧をしない」というのは女性として社会で生きていく上で大変な障害になりそうだとネットやニュースや書籍から伺える「世間」の様子から思うので、女性(と見做されるもの)であることをやめるか、社会で生きていくことをやめるか、という選択をいつか迫られそうです。(男性性とか女性性ってなんなんでしょうね)

個人的なこと(身体をもって、それを着物に包み、顔になにやら塗られた状態でいること)を除けば、とても楽しい同窓会だったように思います。
たくさん、綺麗に着飾った女の子たちの写真を撮れたのですが、当事者以外には見せるわけには行かないのでこちらには出せないのが残念です。本当によい目の保養になりました。

Sunday, 18 December 2011

つまらないことへの恐れ

twitterにも少し書いたけれど(下記)


面白くなければならない意識がある。つまらないと思われることを恐れている。それは、


にあるような、「きれい」「かわいい」「面白い」の三択の末のことなのかもしれないし、先述のような「面白がられること」に対して「期待にこたえなければならない」と思っているだけなのかもしれない。

自分が「きれい」あるいは「かわいい」というカテゴリに存在する人間になるより、「面白い」と言われるほうがしっくりくるので、無意識にその選択はしているような気はする。でも、私が自分を「面白い」人間だと思ってるかと言うと、そんなことは全くない。
もうこれまで何度も語りつくしたように、私は小さい頃から自分が他者と同化しようとしても上手くいかない、異物として、灰汁のように、こどもの社会から浮き出し、すくいとられることなく漂ってきて、「致命的に異なっている」と突きつけられ続けてきた私ですから、自分が「普通」だとは思わない、でもその「非・普通さ」は決して肯定的なものではなくて、薄暗く湿った性質のもので、「面白さ」「ユニークさ」とは、全く違う。
これもまた、今まで厭になるほど、何度も書いたことだけど、私は自分を肯定的に捉えられないから、それも上記の「非・普通さ」を重苦しくしめつけているのだと思う。

「つまらない」ことへの恐れと、自分に「面白さ」があるとは思えない疑いと、その二つの間でギシギシときしみながら私の自意識は膨れ上がっているのだけれど、これは大抵の「私のことを肯定的に捉える言葉」を私が浴びたときに起こることでもあるわけで、なんていうか別に「つまらなさへの恐れ」とかわざわざ書かなくてもいい気がしてきた。
ただ、ほかのある「褒められること」が大体「本当だったとして、そうでなくなってしまう」要因が主に私の劣化なのに対して、「おもしろさ」って私の劣化以外にも受け取り手の感性もかなり大きく作用するから、他のことよりも私だけのことじゃないのかなあとか思う。(そうでもないかも、たとえば外見についてだって、人によって色々な感性があるのだし)

何が言いたいのかよくわからなくなってきた。

一応書き出したときから考えていた、最後の方に書こうと思っていたことなのだけど、「面白いこと言おう」と思っている人の発言は大体痛々しいし、そういうことは意識してしまったが最後、気にしないでいることなんてできないし、つまりこうやって「つまらないのではないか/面白くないといけない」と思ってしまった時点で私のコンテンツ力は底をついた。

Tuesday, 13 December 2011

化物語を読んでいて思ったこと

現在、化から猫(白)までを読了していて、傾が途中、あと何故か鬼を先に読んでしまっているという状況です。
で、その主に猫の二冊を呼んで羽川さんについて思ったことなのですが、多分もう原作ずっと追ってる人は語りつくしてることだろうと思うのでn番煎じかもしれない。
一応未読の人がいる場合に備えて畳んでおく。

ところで(化物語が再放送中なのだけど)なでこちゃん可愛いです。
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Monday, 7 November 2011

今日の夢

やたら長い夢を見たので書き残しておこうという試み。

設定

  • 日本からドイツに新幹線とバスを乗り継いで行ける
  • ミュンヘンはドイツ北部にある
  • 転がる身内とのTRPG合宿がミュンヘンである

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Thursday, 29 September 2011

K-r買った

K-r、結局なんだかんだとウジウジ言っていたのにアッサリ買いました。
母の挑発するような疑いにイラっときて踏ん切りがついたという、あんまり良くないパターンだったのですが、今のところ後悔する様子はないです。
(自発的に買ったものでないと後から後悔すること多いので。)
先日ウジウジしていたのも挑発で忘れてしまったので、手元に来てから腹の中でヒヤリとした感覚があったのですが、今のところ大丈夫です。

日曜(25日)に注文して、昨日(27日)に届いて、今日(28日)初めて外で写真撮って来ました。自分でよかったと思うものをここに上げてるので、よかったらちらっと見てやってください。

使ってみての感想を書こうと思うのですが、一日でたった90枚ぽっち撮ったところで4年も5年も使ってきたカメラのように、自分の目と手の延長として操作できないなあ、ということを一番強く感じました。
こう、「調整したいけどよくわからん、そのまま撮ってあとで付属のソフトでなんとかしよう、RAWとやらなら調整できるんでしょ」と思ってしまって、撮ったらそれっきりだという覚悟で撮っていたこれまでに比べて、幾らか怠惰な姿勢になっている気がします。jpgで撮るべきなのかも。
それより操作をしっかり覚えて「どこで何ができるか」そして「それを変えたら写真が堂変わるか」を分かっていくほうが大切かもしれない。

あと、付属のソフトで色々面白いことができてしまって、具体的にはカスタムイメージの「ほのか」「銀残し」あたりがすごく面白くて、とりあえずかけてみよう、かけてみたら結構いい感じになるかも、と手当たり次第試してしまって、我ながらそれはどうなのかと思ってしまう節もあります。あと困ったらモノトーンにするの良くない。ぱっとしない気がしたものにモノトーンかけたらよく見える気がするのは気のせい…だと思う。

とりあえず確実にいえることは先ほど上げたflickrのsetの写真、ほのかと銀残し使いすぎで単調な感じがするのから、公開する場合はその辺も考えたほうがよさそう。

Monday, 19 September 2011

ものを買うということ

ものを買う。
“もの”は物でも事(サービス)でもいい。その何かを得るために、代価として自分の手元からお金とされる何かを幾らか―”もの”の価値に見合った分量―差し出すこと。
ものを作り出すために、あるいは、ことを行うために、割かれた誰かの時間と労力に正しく報いるための報酬。

経済のことは分からない、お金の意味なんて「労働をポータブルにやり取りするためのパラメーター」くらいしか考えたことがない、そんな世間知らずのガキですが、自分が何かを買うのって結構大変なことかもしれない、とか思った。

私が何かを買おうと思ったら、そのために払われるお金は私が親に貰ったもので、つまり父が稼いできたお金で、つまり父の時間と誰かの時間を交換して私はその成果を横取りする形になる。
働けクズニート。
今のところ親に労働しろ、俺の金を使うな、とは言われない、むしろそれどころかアルバイトを禁じられる感じになってしまっているのだけれど、なんにせよ父の労働にただ乗りしてるのは確かだ。
父を雇用している企業は父が既婚子持ちのオッサンだと(雇った当時は独身の若者だったと思うけど)了解しているし、当然給料も家族を養えるように設定されているだろうと、そして父に課される仕事もそれに見合った水準で要求されているだろうとも思うし、父が馘首される様子もないのできっとそれに応えているのだろうと思う。
私が親に貰うお金は企業から与えられる給料の中で想定される「子供に使わせてもいい余裕」に当然収まっているのだろうから、あまり気にせずに自立するまでは堂々と貰い続けていいのかもしれないけれど、労働していないし、労働以外のことをしているだけの価値のある人間だとも思えないし、そういう意味で最近はうしろめたく思う。
親は渡したお金を私が何に使っているのか、大まかにではあるものの、ぼんやりと把握しているし、気に入らないことに使おうとしたら止めるから、うーん。
こうやって書いていると、気にしなくてもいいのかもしれない、と幾らか思う。
家庭内でどうであれ、社会的には他者が代価を払うような価値のあるものを作っていないクズニートであることは確定的に明らか。

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Thursday, 14 July 2011

電脳コイル観てる中でAWとの比較

期間限定で無料だということで電脳コイル見てる。
こういう未来ガジェットにはとても心惹かれる。

アクセルワールドでは脳と通信して現実を拡張するデバイスは首につけてるニューロリンカーだけれど、電脳コイルではメガネらしい。
ニューロリンカーが事故で外れることはあまりない気がするので、転んだだけでぼろっと落としてしまうメガネはちょっと不安。
また前者の方が社会のインフラとして欠かせない必需品になっているような?(インターネット以前の電話やテレビみたいな)
電脳コイルでは「メガネに興味ない」って言う人も居たのに対して、ニューロリンカーに興味ないって人はいないと思うし。

幼い頃から子供に与えるか否かはどちらも選択の余地があるように思える。
生身の体で現実を体験しておくことはやはり重要なのだろうし。

最近ものごとがどんどんデジタルに、バーチャルになっていくなか、どういうものはアナログで物質的なまま残しておいたらよくて、どういうものは迷わず実体を奪ってよいのか、と考える。

たとえばお金ってもともと労働の対価を直接ではなくやり取りできるようにするための概念だから、「これにはアナタがn時間働いて作ったxの価値があります」って共通して認められればなんでもよいわけで、実体がなくてもいいと思う。(実体のない電子マネーは不安だと思う人たちはクレジットカードも使わないんだろうね)
でも、たとえば観光地への旅行で楽しむ景色なんかはどんな腕のいい写真家がとっても今のところ画像にしかならないし、音声付の動画にしたところで空気の質感とか香りとかは再現できないし、何より自分が何を感じるかは既にその写真家や動画録った人やらのフィルタと通じて選別されてしまっているので、「この鳥の行方を追いたい」と思ってもフレームアウトしたらもう分からない、その機会は失われてしまう。もっと科学技術が発展して、今はデジタルに届けられない感覚も再現されるようになって、それを人間に入力できるようになったとしても、結局のところそれは”デジタル”である以上避けられないこととして「不連続な、ブツ切りのデータ」でしかないわけでして、たぶんどこまでも近似でしかない。たぶんね。
だから、どれほど通信技術が発達しても、旅行はなくならないと思う。

同様に本も、読書がただそこに記されている文字、記号を取り出していくだけの情報を取るための手段であるならその媒体が紙とインクだろうと、電子書籍だろうと、ぶっちゃけ不快感なく読めれば何でも良いだろうと思うので、そういう本は電子書籍の技術が発達してよりよい仕様が生まれる中で本屋から消えていくだろうけれど、娯楽としての読書には紙に指を滑らせページをカサカサ鳴らしながらめくる楽しみも、レイアウトや装丁を楽しむ面もあるから、そういうことを完全に再現して、かつ紙の本の不便な点である「重い」「(収納すると)かさばる」をクリアするような画期的な何かができない限り、娯楽として楽しまれている本はなくならないと思ってる。
(—!! 電撃文庫マガジンVol.20の付録の丸ごと一冊SAO,AWネタバレ—
あるいは、AWの神保町のように、オンデマンドで欲しい本だけを刷る世の中になるのかもしれない。それだとオンデマンド用のレイアウト/装丁を考えても採算が取れるような本でないと殺風景なことになりそうで悲しいけれど。
—ネタバレここまで—)

電脳コイルで電脳ペットを飼っていたけれど、動物を実際に飼う場合に発生する汚物処理をなくして、健康管理をウェットなものではなくして、という点ではとても私好みの設定だと思った。
ただ、触ってふかふかしていないとか、やっぱりそういう感覚はかけてしまうし、生身よりはお手軽なのかなーという程度。子供に与えて、万一死なせてしまったら動物に申し訳ない生身よりは罪悪感がなくてよいのかもしれない。

私が憑かれたように人間を生身の体から引っぺがして自由に器を移せるようにすべきだ!といっている件も、結局のところこの辺がイカンのだと思う。
「今の生身の体で得られる感覚の経験を、移し変えても同様に得られるようになるか?」とか、「移し変えたり、あるいはどっかにデータとして保管したりしてる人間の情報ってそれホントに人間なの?」とか、「生身から引っこ抜いた人間とよくできた人工知能の挙動に差が無かったら人工知能も命なのか?」とか…。

「生身から人間ひっぺがそうぜ」という私の発想のだめな点がいろいろ見えるね!
「情報にできない感覚」って唱えてるとクオリアの勉強しろカスって思われそうだね!

Saturday, 9 July 2011

魔法科高校の劣等生を読んで思ったこと

twitterでも喚き散らしていますが(!)、魔法科本当に面白いです。
全くの魔法科初心者がハマって行く様子をいくつかのツイートを取り上げながら追ってみましょう!


とても気軽。誤字を平然と放置してるくらい適当。まさかあとでこうして引用して悶絶するとは思っていなかっただろうな。
「面白かった買おう~」とサラっと言っていることが既にフラグです、ハマらないわけがない。


僅か3.5時間で既に「面白い!」と確信している模様。残念ながら何処まで読んだかは不明。


すでに睡眠時間を奪われることを確信しているらしい。案外ノロい。


モニターだと紙面以上に眼が滑って説明をところどころ読み飛ばしてるらしい。
あと登場人物多いために「人名と顔が一致しない」という現実世界でも発揮されてる悪癖が脳内イメージと名前の紐付けが失敗してるあたりに発揮されてるのか。
文庫版はこのあたりよくなった気がする、一度に出す名前減ったのかな?


無邪気に「エンジニアが強い」とか言ってますが達也が強いのはエンジニアが強いからというか達也だからで、まあ、なんというか…w
でも、ま、戦うエンジニアいいね!好きですエンジニア。


そんな心配なかったね、未だに魔法科クラスタと一切接点が無い。
そろそろ襲撃を掛けに行かねばならないと思ってます。(訳:フォローしに行きます)


これは二点ありまして(たぶん)

  • 想像力等の人間のイメージ力が現実を上書きする…などと言った世界があったらいいのになァと考えていて、アクセルワールド(川原礫)における心意ほどアツくない感じの何かを…とか思ってたらこれまんまサイオンじゃないですかヤダー!
  • 満員電車がイヤだからベルトコンベイヤーみたいに…いやしかし直接飛び乗るのは危ない、スキーのリフトみたいに速度が切り替わるポイント…いやでも全体が減速するんじゃ結局混む事は変わらないし…と考えていたのですが、理想の交通システムKOREDA!!!!

などと考えていたことをスマートに書かれててしまったので、


…というような恥ずかしい反応をしておりました。


「次のページの境目で読み終わろう」って思ってもだいたい気付くと「あれ、なんかまたスクロールバー小さくなってない?」と首をかしげるハメになっていた。


モニターの前に座り続ける気力がなくなって、外伝をXperia arcで読んで寝落ちしたという。読みきったけどね。

ここから先は、魔法科高校の劣等生Web版が既読であることを前提に書いています。そういうわけで未読の人は本編を是非読みましょう。長いって?だからどうした。

上記から分かるように、数日前に読んだばかりの俄かでもあるので、古参の方がもしご覧になっているのでしたら間違い等あっても容赦ください…。
お断りしておきますが、すみません、読み終わったばかりでとてもテンションが高くなっています。

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