Friday, 13 March 2015

WWoHPに行ってきた記録

3/2に母と妹と三人でUSJ、より具体的にはWizarding World of Harry Potterに開園から閉園まで篭ってHogsmeadeの雰囲気を全力で堪能してきました。
前日は5年ぶりに姫路の祖父母宅を訪ねたり、翌日は神戸付近をうろうろしてたりしましたし、旅行全体でみるとUSJでないところにいる時間のほうが長かったのですが、私にとっては実現可能な範囲で限りなく聖地巡礼に近い旅でした。

twitter等で私を長く知っている人はよくご存知だと思いますが、私は11歳の夏はずっと梟が来るのを待っていたような長期のハリポタ中毒患者なので、湖とお城を目にしただけで泣きそうになったり、HP and the forbidden journeyに乗るためにHogwartsの門を通った時に「13年ほど遅いけれど、やっとここに来られたんだ」と思ってやっぱり泣きそうになったり、Filch’s emporiumでTom Riddleの日記を手にしてまたまた泣きそうになったり、Flight of the Hippogriffの待機エリアにあるHagridの小屋とSirius Blackのバイクに涙ぐんだり、もう何を見ても泣いて拝むかはしゃぐかの二択になってしまって………本当に行けて良かったです。

USJで撮った写真をflickrに投げ込んだのでもし気になる方はどうぞ。
以下、どういう順番でどこを回って何がよかった~みたいな話を延々しています。
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Tuesday, 30 December 2014

Friday, 28 February 2014

生きていてはいけない人なんて誰もいない

言っていることとやっていることが食い違っていると思うんだけれど、私は自分を指して「はやくしねばいいのになあ」と思い、自分を呪いながら日々を過ごしている一方で、「生きててはいけない人/死んだほうがいい人」なんてひとりもいない、と思いたい。そう思おうとしている。
昔は違った。害のある人間はとっとと死ぬべきだと思ってた。(誰が「害」かどうかを決めるというのか)ひとはだれでも自分ひとりの力で生きて行ける”べき”だと思っていた。
もう、ずっと、ずっと。昔の自分が今の私をみたら、きっと激昂し机を叩き足を踏み鳴らし、声高に「こいつは死ななければならない!」と言うだろう、と思っている。
そう思うから、12才の私に罵られるから、だから私は「はやくしなないかなあ」と思うのだろうか。おまえは正しい、正しいからしぬんだ、と。
そう思うから、12才の私を殺すために、「生きててはいけない人なんて誰もいない」なんていう”きれいごと”を思うんだろうか。おまえは間違っているんだ、正しいのは私だ、私はしなないんだ、と。

人間に無意味に厳しく(そして自分が正しいと盲信していた)私が決して許さない私を許してくれる価値観を求めて「死んだほうがいい人なんていない」なんて言うのだとしたら、それはおそらく逆効果で、まさしく死ぬべきクズということの証明にしかならなくて、別に自分を助けたいと思ってそんな寛容そうなことを言っているわけではないのだけれど、それを証明するためには自分が助からなくてもそう言うであろうこと、自分が助からないこと、もう死んでいることが必要なのではないかとか、そんなことをぐるぐると際限なく考えている。

結局、生きていたいと思う人は生きているべきで、生きていたくないと思った人をどうするかという話なのかもしれない。
すべての人が生きていたいと決めつけるのも、ある生きている人間を「死んでいるべき」と決めつけるのも、どちらも無理のあるはなし。

Saturday, 21 December 2013

鍵をかけている人が怖い

twitterのはなしです。「全ての鍵かけてる人」が怖いわけではないです。

鍵をかけるのって、「許可した人以外には見てほしくないから」「検索結果に表示されたくないから」のどちらかに魅力を感じてのことが多いと思っていて、たとえば鍵なしのアカウントで主に活動している人が鍵つきのサブでごくごく少数の親しい人とだけ極めてプライベートな話をしているのだとか、誰とも関わらない自分専用のメモ・ひとりごとアカウントを持っているだとか、公開してはいけない情報を関係者とだけ共有するために使うとか、まあ色々あるのはわかっています。
腐女子がディープな話をするためにかける鍵とかもありますよね、わかります。

オープンなアカウントをすでにフォローしていて、ひととなりをわかっている人のサブである鍵垢は全然怖くないです。
オープンな状態だった頃にフォローした方が鍵をかけるのも怖くないです。
誰とも関わらないメモ・ひとりごとアカウントももちろん怖くないです。そもそも存在を知ることさえありませんし。

好きなウェブサイトの管理人が、「twitterこれです~」と貼ったリンクの先が鍵垢だったりすると、ちょっとビビります。フォロー申請して却下されたらそのサイトを見ていることまで拒否されるようだなと思うでしょうし。
鍵の人にフォローされると「……おう」ってなります。どういう方か分からないからフォローするかしないか検討することすらできないし、かといって適当に申請したところで、見ていてつらいつぶやきをされる方だったら誰も得しなくてつらいだけですし。
面白いふぁぼが飛んできた時にどなただろう!と見て、鍵だと「気になる……!」と悶えながら悩みます。握手できそうな方ならフォローしたいけど、なにぶんつぶやきが見えないのではどうにもならない。悩ましい。

別に気軽にフォロー申請だしてもいいのではと思わないでもないけれど、鍵かけてる人に突撃~!とフォローしてみたら「即座に承認~からの~フォロー返し~からの……一週間後くらいにブロック★」みたいな出来事がこれまでのtwitter生活で2,3回はあるので、「鍵かけるメンタリティのtwitter-erとは合わないのではないか」みたいな気持ちが若干あります。
我ながらいやな学習をしました。

そもそも私のフォローに関する方針が「リプライ貰ったりして面白い人だなー!と思ったらフォローする」みたいな感じなので、そういう形で視界に入ることのない「フォローしていない鍵ユーザー」をフォローする動機がしっかり固まることもないわけで、もやもやと「気になる、どういうことを言っているのだろう……」ってひっかかるところで止まるのは当然でした。つらい。

Saturday, 2 November 2013

叛逆の物語をみて

もうおとといのことですが、魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語をみてきました。
事前に踏んでいたネタバレは「途中からほむほむの声がガハラさんにしか聞こえなくなってくる」くらいでしょうか。あとウロブチィって叫んでる人がいたとかいないとか。
相当まっさらな状態で見てきました。まだ観ていない人にも是非ニュートラルな気持ちであの物語に触れてほしいので、もしまだの人がいたら引き返して下さい。
……いなさそうだけど。
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Sunday, 25 November 2012

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qを観て

公開から一週間近く経った11/23(金)、Qを観てきました。
事前に見かけてたネタバレ(見ても意味分からなかった)はこの二つくらい?

飲み会に一時間遅れていったシンジくんが
「今なんの話?」って輪に加わろうとしたら、「盛り下がるから黙っててくれる?」って怒られて
優しい友達が、「このギャグやればバカうけだよ」って気を使ってくれたんで
思い切ってやってみたら、「お前、それだけはやるなよ!」ってみんなに怒られて、
居酒屋の隅に寝っ転がって泣いてたら、友だちのアスカちゃんが「帰るわよ」って迎えに来てくれた話。

あと、金曜ロードショーでやってた冒頭6分38秒は2,3回通してみて、細かい部分を止めながら確認した、という感じの状態で観てきました。
以下、感想ともなんともつかないもの。
当然ながらネタバレ注意な感じなので、観てない人は逃げてー逃げてー!
パンフレットもさっき読んだので、観たけどパンフまだよって人も一応退避推奨?
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Saturday, 10 November 2012

幾度目かの自覚と諦観と

父親と進歩のない大喧嘩をした。
たぶん父は喧嘩だと思ってなくて、というのも、父は途中から「よき人生とは」みたいな語りに入って、私が完全に死んだ目で、背後のテレビから聞こえるシンジの悲鳴と一緒に聞き流していることにさえ気付いているのかどうか、みたいな有様だった。ひどかった。
だいたいわかりきった話だったし、もうそういうことは考えたんだけど、って思うようなことばかり父が言ってきてとても不愉快だった。
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Tuesday, 11 September 2012

Thursday, 9 August 2012

大人であることへの忌避

The Chronicles of Narniaの中盤、Susanを指して兄、弟、妹は「可能な限り早く18歳になって、そして可能な限り長くそこに留まるレースをしているようだ」と残念そうに語っていた。彼女は変わってしまった、もはやナルニアを共に分かち合える存在ではなくなってしまったのだ、と。
私はそれが怖かった。私はいつまでもナルニアに居たい。ホグワーツに居たい。目からブレインパワーを射出してチョークを操りたい。18歳になんて、ならなくていい。
これが私の大人になることへの始めの恐怖だったのではないかと、今となっては思う。
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Thursday, 10 May 2012

髪を切った話

近頃は本当に何も書くことが無くて、つまり何も考えていなくて、あるいは考えたことが一向にまとまらないままtwitterに書き散らされては霧散していくので、ふらっと髪を切ったことについて書こうと思い立ち、久しぶりに管理画面を開いて見ます。
……なんだこの手紙っぽい書き出し。

髪をですね、切りました。
小学生の頃から、確か低学年の頃に一度、肩につくかつかないか程度まで短くしたことがあった以外は、基本的に長くひらひらと伸ばしていたのですが、先日(4月16日)、おそらく十年ぶりくらいに肩の下程度まで短くしてしまいました。
長い髪なんて私の大嫌いな”おんならしさ”の最たるものではないか、と思うこともありましたが、髪が長いことによる様々な利点、気に入っていること、そして変化を嫌う気持ちから今まで大きく切らずに居たのを、ついにばさっと切ってしまったわけなのですが、その理由もまた変化に耐えられない気持ちによるものなので、私の髪の長さは常に私の意志の弱さを体現しているのだなと痛感します。

今まで髪をあまりたくさんは切らずにいた様々な理由、そして今回切ってしまった理由を話すと長いのですが、せっかくなので書いてみます。
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